前田利家は,今の荒子小学校学区で生まれた戦国武将です。
 14歳の初陣以来,信長に従って出陣し,数々の武勇を立て,後に『槍の又左』と異名をとるようになりました。
 また,利家は勇猛なだけでなく,とてもまじめで人に優しい人物だったようです。
 主君のために骨身をおしまず熱心に働いたり,人には長所が必ずあり,いらない人はいないと言って家来を大切にしたりするなどしました。金沢に移る時にも尾張の商人を連れていったり,兄を城に招いたりもしました。 


 ★ 前田家の加賀百万石の基礎をつくった前田利家ゆかりの地という縁で荒子小学校は,金沢城の近くにある金沢市立味噌蔵町小学校と姉妹校交流を行っています。

■ 利家 略年表 ■

1538年 天文7年 尾張国愛知郡荒子村に、前田利昌の四男として生まれる。
幼名:犬千代
1551年 天文20年 織田信長に使える。
尾張海津の戦いに初陣。
1554年 天文23年 元服して、孫四郎利家と称する。
1556年 弘治2年 尾張稲生の戦いで、宮井勘兵衛を討つ。
1558年 永禄1年 又左衛門と称する。
松と結婚する。
1559年 永禄2年 信長の同朋衆 十阿弥を斬り、出仕を止められる。
1560年 永禄3年 父、利昌死す。
桶狭間の戦いに密かに加わる。
1561年 永禄4年 美濃森部の戦いの功により、信長の勘気が解かれる。
1569年 永禄12年 信長の命により、兄 利久に代わって荒子城主となる。
1573年 天正1年 母死す。
室町幕府滅亡。
1575年 天正3年 長篠の戦い。
越前府中、3万3千石を領する。
1581年 天正9年 能登に封じられ、七尾城を築く。23万3千石
1582年 天正10年 本能寺の変で信長死す。
1583年 天正11年 賤が岳の戦い後、柴田勝家死す。
能登および加賀二群を、豊臣秀吉より与えられ、尾山城(金沢)を居城とする。
1595年 文禄4年 豊臣秀頼の守り役となる。
1598年 慶長3年 秀吉、大阪城にて死す。
1599年 慶長4年 秀頼とともに、大阪城に移る。
大阪にて病死。(享年62歳)